[ムーン]『くらやみの速さはどのくらい』エリザベス・ムーン

くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)

くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)

私たちの住むこの世界には、数多くの常識やルールが存在している。時にそれを下らないもの、従うべきではないものといったようにネガティブに捉えられることもあるが、なんだかんだいって社会が円滑に動くためにそれらは必要なもの*1なのだと思う。けれど、私たちはしばしば忘れがちだ。そうした常識やルールが絶対的なものではないということを。
この小説の主人公、ルウは自閉症者だ。舞台は近未来、幼時に治療を受ければ自閉症を治すことが出来るようになっている。かれは、それに間に合わなかった最後の世代の自閉症患者なのだ。けれど、かれは決して不幸ではない。製薬会社で安定した職に就いているし、趣味のフェンシング教室の仲間はみな自分を受け入れてくれている。そう、かれにはなんの不満もなかった。だが、そんな折、かれらの職場の新たなボスのミスタ・クレンショウがかれら自閉症者に、新しく開発された治療法――成人の自閉症の治療することができる、という――の実験台になるよう命令してきた。ルウは治療を受けてしまったら今までの自分ではなくなってしまうのではないか、と不安に駆られるのだが、さて……。
あらすじだけ見ると、確かに21世紀版『アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)』と称されるのも頷けるほど、2つの作品は良く似ているように見える。ともに、『正常』*2ではない主人公が、新たな治療法の実験台にされる(あるいは、されそうになる)。しかし、この二作品の共通点はそこまでだ。ダニエル・キイスのそれと、この作品とでは決定的に違っている点が一つある。それは、主人公の視点だ。『アルジャーノン〜』の主人公と違って、本作の主人公であるルウは物事を客観視することが出来る。そして、彼には独特の世界の見方をしており、それを最も端的に表しているのが題名の「くらやみの速さはどれくらい」という疑問だ。

「知らないということは知っているということより早い速度でひろがる」
「それゆえ暗闇の速度は光の速度より早いかもしれない。光のまわりにいつも暗闇があるのであれば、暗闇は光の先へ先へと進んでいかなければならない」

そうしたかれの眼を通して見る世界が、実に新鮮で面白く魅力的なのだ。かれの意見を読むと、今まで自分たちが常識としていたことが本当にそうなのか疑問にかられる。だからこそ、こうした物の見方をするかれを失うのが惜しくて、ついつい感情移入して読んでしまうし、ハラハラもする。実際、大した事件も起きていないのにこれだけサスペンスフルなんだから感心する事頻り。
もちろん、不満がないわけじゃない。キャラクターの善悪の塗り分けは単純に過ぎるし、ルウの設定にしてもご都合主義*3が若干透けて見えないでもない。何よりラストはあまりに急ぎ過ぎで、これまで積み上げてきたものに必ずしも応えられていないように感じる。しかし、そんなのは実際些細なことだ。この話のキモはあくまでもルウの考え方、世界観なのだから。

*1:必要悪とまではいわない

*2:差別的なのは百も承知ですが便宜上、こうした用語を使うことをご容赦ください

*3:当たり前のようにサヴァンっぽい感じだしね―