感動に至る病

えーと、題名は実はあんまり関係ない。
ここ最近(つーか、ずっと)、「感動」とか「泣ける」とか言う文字が蔓延していて気持ち悪いな、という話。


あくまで個人的な意見だけれど。感動は結果として表れるもので、それを手段、ましてや目的に据えている作品は終わってるよなー、という気がしている。
言ってしまえば、誰にだって琴線に触れてしまえば「感動」してしまうものだし、(そのくすぐり方の巧拙はあるにしろ)作品の良し悪しをその部分を以って測るのは(つまり、泣けるか否か、で)ナンセンスだと思うのだ。
今――ってほどでもないかもしれないけど、いわゆる「純愛ブーム」*1ってのが起こったっていうのもそういうことでしょう? 殺人事件に出くわしたことがなくても宇宙船に乗ったことがなくても、恋愛をしたことがない人はそういない。だから、作品の出来がその……アレでも、自分の経験に則して補うことが出来る。
ただ、俺はそう銘打たれた作品にあまり手を出していないから、実際にそれを指向している作品がどれだけあるのか知らないし、実際にそこまで志の低い作家はそう居ないだろうとも思う。
っと、すこし話が逸れた。個人的な志向は措くとしよう。別に「感動」する作品が好きってんなら、他人が口出すことじゃないし。泣くのって単純に気持ちいいものね。
ただね、湧き上がってきた感情に「感動」という枠を当てはめて思考停止に陥るのはどうなのかな、と。更に言えば、ただでさえみんな泣きたがっているっていうのに、そんなレッテルが貼られたら余計それに囚われてしまうんじゃないかな、って。
例えば、この時期の風物詩になった感のある戦争モノのドラマ。いろいろ含蓄のある筈の話でも、そこに「感動」やら「泣ける」やらのお決まりの台詞がついたがために安っぽいお涙頂戴ストーリーとして消費されてしまっているように思える*2。まあ、そもそもそういう方向性で作られているものが大半という言説も成り立ちそうなのが悩ましいけれど。


面倒臭くなってきたので結論をいうと――といっても、一言で終わってしまうのだけど――レッテル貼りがいらぬ先入観を与えて、正当な評価が与えられない作品が生まれるのは憤懣やる方ない、というただそれだけの話でした。どっとはらい

*1:余談だけれど、純粋な愛ほどグロテスクなものもないと思う……ってホントに余談だな。

*2:逆に戦争イコール反戦っていう思考が硬直化した人もいるけど、それはそれとして。