『おおきく振りかぶって⑤』ひぐちアサ

おおきく振りかぶって(5) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(5) (アフタヌーンKC)

今回もまた、とんでもなくおもしろい。あれだけマイナーな作風の作家が良くもまあ、これだけ王道な物語を描けたもの、と感心する前に驚いてしまう。
まあ、でも結局この人の興味の中心にあるのは、コミュニケーションなんでしょう。心理戦も拡大解釈すれば、コミュニケーションですし! ……いやまあ、そこまで拡大すればなんでも、といわれればそうだけど。

『人獣細工』小林泰三

人獣細工 (角川ホラー文庫)

人獣細工 (角川ホラー文庫)

度重なる臓器移植によって継ぎはぎだらけの身体となってしまった女性の恐怖と絶望を描いた表題作ほか2篇を含む第二短篇集。以下、それぞれについてすこしだけ。

「人獣細工」
グロい。悪趣味。“ヒトブタ”という単語を引っ張ってきた時点で、半分は成功よね、という。
前作と同様、自己言及がテーマだけど、最後の最後で有耶無耶になるのはホラーの宿命か。オチは見えていても、絵面のグロテスクさで充分に怖い。

「吸血狩り」
落とし方がそれ以外にないことはわかっていても、あの終わり方はやっぱり逃げられた気がしてならない。どちらとも取れるように、気を遣っているだろう描写には素直に感心。だけに、裏切られることを期待していたのだけど。

「本」
やり過ぎの、コメディと紙一重スラップスティックな描写が、気持ち悪くて楽しい。他に見せようはあるだろうに、敢えて、というあたりが。恐怖の伝染の仕方の、そのアイデアもおもしろい。前例はありそうだけれど、応用している感じ。ただ、最後が鮮やかに決まり過ぎて、返って陳腐な感じがして、それは残念。


評価:C

『家族のそれから』ひぐちアサ

家族のそれから (アフタヌーンKC)

家族のそれから (アフタヌーンKC)

表紙にも描かれてるメグちゃんが可愛い、だけで他の感想はあんま思い浮かばないのだけど。

再婚して1ヶ月、母が死んだ。遺されたのは、連れ子である高校生の兄妹と、26歳の新米教師。まだ家族にすらなれてない3人は、ぎこちないコミュニケーションを積み重ねて日々を暮らしていくのだけれど……。

読んでると、絵が上手いことと、マンガが上手いことはあくまで別なんだなあ、としみじみ感じる。まあ、この人はどっちも下手な方だと思うけど。特に投稿作はかなり読み辛い。
しかし、それにしても居心地の悪いマンガであることよ。『ヤサシイワタシ』2巻読んでないから、うかつなこと言えんけど、ひぐち作品はコミュニケーションの回復がテーマなところあると思うし、したらどうしたって最初は不健全になるわけで。
終わりは、割と尻切れとんぼっぽいけれど、人気がなかったのかしらね。無理ないけど。

『しゃべくり探偵』黒崎緑

何も考えずに読めてとても楽しい。
和戸君のイギリス旅行から始まった4つの事件をめぐる、ボケ・ホームズこと保住君とツッコミ・ワトソンこと和戸君の大活躍?、というのが概要。
全編、これ、しょうもないギャグの連続なんですが、これだけ繰り返されると笑ってしまう。たとえば、こんなふう。

「しつこう言わんかて、おれかって、イギリスは知ってるわいな。秋になったら、ギ〜ッチョン、ギ〜ッチョン、って鳴く虫のことやろう」
「それはキリギリスや。おれが言うてるんは、イギリスや。大英帝国や」
「ああ、中内功社長率いるスーパーマーケットやな」
「それはダイエー帝国や。おれが言うてるのは、グレート・ブリテンのことや」

終始、こんな調子。畳み掛けられたら、そら脱力します。根負けして、笑ってもしまう。
さて、肝心のストーリーですが、これもしっかり及第の出来。いくつか、そんなに上手くいくもんかなあ、と疑問に思わないでもないけど、推理小説でそういう感想を抱かないものがいくらもあるかと思うと……まあそこから先は言わぬが華です。
いしいひさいちの挿絵もぴったり。地味にお勧め。


評価:B−

『ビアス短篇集』アンブローズ・ビアス

ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫)

やばい、すごい! この人、絶対に頭おかしいよ!!
全15篇のうち最初の10篇は、――芥川の『藪の中』のもとネタとして楽しめる「月明かりの道」、極限状況下――自室への蛇の侵入、瓦礫の下で目の前に装填された銃口がある――に置かれた男たちの切迫した心理が見事に描かれてる「男と蛇」「行方不明者のひとり」、怪奇幻想趣味溢れた戦場の中を少年が探検するという悪趣味さが楽しい「チカモーガの戦場で」を除いて――読まなくてもいいです。とにかく、最後の5篇。どれもブラックジョークが行き過ぎて、ほとんど異世界です。
「猫の船荷」は、実におもしろおかしいトール・ストーリー、なのはいいとして。タイトルからして素晴らしい「ぼくの快心の殺人」においてはまだ、裁判の大袈裟な戯画化で済んでいたものが、ラスト3篇については善悪の概念など全く無いように、犯罪行為が行われ語られていて、もう頭狂いそう。ブラックジョーク、では済まされないくらいの価値観の崩壊、といったらいいか。とにかく、一読の価値があります。
しかし、この人、あの新聞王ハーストと同時代ってだけでなく、その経営する新聞の専任記者だったのね。『悪魔の辞典』の著者が、「イエロー・ジャーナリズム」のハーストと割に懇意だったというのは、なんとも皮肉な話。

評価:A−

『アクアリウムの夜』稲生平太郎

アクアリウムの夜 (角川スニーカー文庫)

アクアリウムの夜 (角川スニーカー文庫)

おお、これは怖い。

ある日、ぼくと高橋はあるビラに導かれて、ある興行を見に行く。カメラ・オブ・スキュラ。脅威の科学魔術と題されたそれは、その実ただの巨大なピンホール・カメラだった。しかし、そこに写る筈のないものを見たその時から、ぼくらの日常は変わり始めていく。こっくりさん、霊界ラジオ、金星人からのメッセージ……。少しずつ、けれど確実に日常は削られていく。そして、遂に……。

日常が侵食されていく様が、ともかく、怖い。ひたひたと足音さえ聞こえそうなほどの、ゆっくりとした変化。退屈でもささやかな幸せもあった日常に陰が落とされ、夜は悪夢と分かち難くなっていく。明かされた謎は、その次の瞬間にはまた多くの謎を生み出し、最後、完全に日常は裏返る。確かだと思ったものがひどく曖昧になり、正常だった筈のことが狂気へと摩り替わる、その恐怖といったら!
助走の長いジェットコースター、という感じ。じっくりと伏線を張ってきて、さてどうするかと身構えたら、そんな思惑を笑い飛ばすように一気に駆け抜けていく。エピローグの題名が切ないなあ。後味の悪いのも良し。おもしろかったです。

評価:B−